初めての大阪 中之島
 近江八幡から車で大阪南部、津久野まで乗せてもらいました。駅の路線図を見て、ともかく北へ。JR線で天王寺へ。そこで中之島への道順を聞き地下鉄御堂筋線で淀屋橋へ。
 初めての大阪、、。特段の観光地めぐりの意識はありませんでした。大阪といえば、なんば、御堂筋、道頓堀を、なんでしょうね。然しながら私にとっての興味は、、かつての「大阪ホテル」でしたね。決して安くは無い新幹線や鉄道の費用を払って訪れる旅の先にはなにかの目的が必要なんですね。いつでも気軽に、、あちこちに出かけることは出来ないから。だから、今回近江八幡への用事の後は、あれこれ行き先を考えて候補はあったものの、大阪へ乗せてもらう機会もあったので、この地を選びました。大阪や、この中之島に関する歴史的な研究、興味を持つ人は多いでしょうが、ホテルのラベルの為の旅というのは私だけかもしれませんね。大阪ホテルだけでなく、調べてみれば、この近辺のラベルを持つホテルは既に無いということも多く、その視点でも、この中之島への旅は有意義なものとなりましたね。
 目的の場所へ、まず足を運びました。淀屋橋の駅を降りたら既に暗くなっていました。淀屋橋を渡り中之島へ。大阪市役所の古い建物を通り、中之島図書館をすぎ、その隣が左上の中央公会堂です。歴史ある建物が広い綺麗な場所に建っているのが素敵でしたね。そしてその正面にあるのが、右の写真の大阪市立東洋陶磁美術館です。実はここが目的の場所なんです。この場所がかつての大阪ホテルがあった所。大正13年11月に消失してしまいましたが、大阪における代表的なホテルだったし、素敵なラベルを数多く残したところでした。当然ながら、そんな古い時期に無くなってしまったから、ホテルのラベルも今では殆ど見ることができないのですが、運よく、その頃のラベルを多く入手し、その素敵なデザインに残すべきラベルの1枚としてそのホテルの存在をおざなりには出来ません。しかしながらそのホテルのことについては殆ど存在自身忘れ去られてしまったのが残念なことなんです。その後に出来た新大阪ホテルの系列が今に続くリーガロイヤルホテルですが、大阪ホテルはそれとは全く違う存在であることは、残されたラベルを見ても別ものといえますね。その素敵なラベルはいつか本にしますかね。
 目的の場所の写真を撮って、さて今宵泊まるところへ、、。と、その前に堂島川とその夜景を。今度いつ来るかわからないし、東京にもない、都会の中にあって、中洲の地のゆったり出来る場所がいいなと感じるのは私だけではないと思いますね。クリスマスには、この川沿いに色々なイルミネーションでも見れるかもしれませんね。
 そして地下鉄で中之島駅へ。すぐ上が、リーガロイヤルホテルです。
 昭和10年開業の新大阪ホテルからその系列として存続し、1990年にリーガロイヤルホテルへ。そんなホテルだから、大阪ではまずこのホテルに泊まらないと、、という思いでした。ふらっと立ち寄って、部屋あります?というものでした。こんなホテルでも、、でしたが、泊まれる値段だったので、泊まることになりました。確かに、どこかに出かけるときは、先にホテルなどを確保してからのものが普通ですよね。でも、こんな旅もいいものだな、、と。然し、今の世の中、ネット予約で、格安料金を確保して予約、、なんでしょうけどね。
 ホテルラベルという題材から見るホテルの存在。ホテルが目的という旅ですが、かつての人達のように、ちょっとアナログ的な旅ということもこれからは続けてみようかと。
 折角ですから、少しホテルの中をご紹介しましょうね。確かに一晩のベッドを借りるだけのものですが、こうした大きなホテルでは、宴会、イベントなども行っているし、色々な人を相手にしての場所だから、特別な場所としての空間を楽しむ場所でもあるんですね。残念ながら、それを享受する立場にはないから、雰囲気だけを味わってみました。
 丁度泊まった翌日は、地下街のパレロイヤルという高級店のショッピングモールでのイベントがあり、演奏会もありますが、残念ながら翌日の11時からでしたから、聞くことはできませんでした。
 着いて地下のお店を歩いてみたけれど殆ど閉店してしまっていました。そこで、楽しそうなお店のショーウインドーを撮ってみました。お恥ずかしいけど、つくづく、こうしたホテルはお金持ちさんを相手にしているんだな、というものが多いですね。
 大きなホテルなので、海外からの団体客も多いようです。反対側の高層棟の入り口にペッパー君がいたのには驚きましたね。海外からの人の多くの言語に対応するからでしょうかね。
 桜の季節ですね。スイーツの飾りが春らしいです。チョコレートもホワイトデー、、はもう終わってしまったけど、色々なチョコレートが飾ってありました。その中で、チョコの山を切り崩している?小さなフィギュアを見つけました。

 一夜は早いもの。10時過ぎにチェックアウトしました。リーガロイヤルホテル宿泊という記念は、、自分で作り記念としますか。一応はラベルはもらったものの、普段は使っていないようでした。グループのもので、ここ大阪のものでは無かったですね。かつてのホテルラベル文化はもう無いようですね。さ、中之島を歩いてみましょうか。
 リーガロイヤルホテルは中之島の5丁目。中之島の西です。目的の陶磁美術館がある1丁目方面、東へののんびり歩きでした。橋は「玉江橋」「田蓑橋」「渡辺橋」「中之島ガーデンブリッジ」「大江橋」「水晶橋」「鉾流橋」です。別段橋フェチではありませんが、これらの橋が場所を規定する区切りとなるので。
 島の端はこうした通路があり、整備され、ランニングする人も多かったですね。車道とは別にこうした通路があるのもいいものです。早々に、春を告げる桜の花に出会えましたね。


玉江橋(たまえばし)


田蓑橋(たみのはし)


渡辺橋(わたなべはし)
 田蓑橋を越えて少し行くと、右手にこんなアンティークな装飾が。後で調べてみたら大正末期に創業のダイビルでした。改装はしたものの、古き時代の装飾はそのまま残していたんですね。次の目的は次の橋の渡辺橋のエリアなんですが、ふと通り過ぎて後で気づきました。実はこのダイビルの隣に、今回の目的の大阪ホテルを継承するべく中之島の新大阪ホテルの存在です。昭和10年から48年の存在で、戦前から戦後まで大阪を代表するホテルでした。この時代のホテルが一番多くラベルを残してきたんですね。あまりに高層ビルが立ち並び、かつての存在など残すべくも無い私営のホテルでしたからね。後で古い地図などを調べ、このダイビルの隣、下の地図から中之島三井ビルの所だということがわかりました。こうして改めて調べてみると、あそこも、ここもと行かねばならないところでした。また来る口実になりますね。
 渡辺橋までくると、その交差点にそびえるほどの大きなビルが現れます。あまりに高いビルなので、橋を渡りこの図の現在地まで歩いてみました。ここは交番にあった地図です。
 ここでの目的はかつての「大阪グランドホテル」です。ここに来る前クグーグルマップで見てはいましたが、実際に来て、やっぱりという大きさでした。
 改築で大きくなってしまいましたが、左の朝日新聞フェスティバルタワーの位置には下の建物があり、そこが大阪グランドホテルでした。左下が今日の姿です。丁度橋が目印となりました。
 
 1958年にホテルは開業し、1999年朝日ビルが経営権を得たとされ、2008年新朝日ビル建築の為、営業終了、閉鎖となりました。
 次の橋は中之島ガーデンブリッジ。ふと左をみたらANA CROWNE PLAZA ホテルでした。ANAシェラトンホテルからANA全日空ホテル、そして今日のクラウンプラザに。ふと寄って今のタグラベルの存在を聞いてみました。どこも同じですが、今の若いホテルマンはラベルの存在すら知らないんですね。かろうじて、、今は使っていないような?ラベルでしたが、もらえました。そこでは、大阪の地図などを頂き、助かりました。
いよいよ中之島1丁目まで来ました。ここらの橋は昔ながらの姿をとどめようとしているのか、石造りのものでした。
実は今更ですが、中之島は大川の川の下流にある中州です。だから、中洲である中之島の北と南にかかる橋の名前は違うんです。これまで見てきたのは全て北側にかかる橋のことです。中之島ガーデンブリッジから、北側の道を歩いてきました。ですから、この上の画像は大江橋から中之島方面を見たところです。
 この大江橋からは、北側にまた別の目的が。現在は貸しビル業となっていますが、この大江橋を渡ると右側に堂島ビルディングがあります。ここにはかつての「堂ビルホテル」がありました。現在は雲仙観光ホテルを経営してしていますが、この場所がかつての堂ビルホテルであることは、このビルでも明らかにしていませんでしたね。ビルの入り口を見るといかにも古い感じで、その上のマークを見ると、私だけが?見知っているものでした。矢張りという思いでしたね。残念ながら、ビルの関係の人はお休みでしたが、いつか、パネルの提案でもしてみましょうかね。ま、相手次第ですが。


水晶橋(すいしょうばし)
 ここからの眺めはレストランの座席などが並んでいるところで、夜景での食事はいい雰囲気ですね。
 いよいよ最後の橋です。この橋からの眺めは右に中央公会堂。左に陶磁美術館です。


鉾流橋(ほこながしはし)
 そして、これが撮りたかったアングルでの写真でした。川の幅は変わらないとは思うのですが、かつて存在した大阪ホテルの川の対岸からの眺めはいくつかの絵葉書でも見てきました。焼失して既に100年近くたつことですし、歴史をさかのぼれば江戸時代、それ以前ということになりますが、今回の目的はあくまで大阪ホテルの存在なんです。
当時生きてかつての大阪ホテルを前にしても泊まることはできなかったかも。当時は特に敷居が高かったし。然し、時を経てその当時の多くのラベルを得て、かなわぬ過ぎ去りし時を振り返る作業は何かを自らに問う旅となりますね。これから100年後、この姿は変わらないのでしょうかね。
 橋を渡り大阪中央公会堂へ再び。近くには目障りな高層ビルが無いのがいい。大正7年に出来て、目の前の大阪ホテルも見続けてきました。その後の年月で、ここも色々な歴史を経てきましたね。屋上には平和を象徴する女神「ミネルヴァ」と商業の神「メルクリウス」の象がありました。大阪ホテルもここと同じようにその姿を残してくれたらと思うのは私だけでしょうかね。絵葉書を見てもそれだけの価値ある姿をしていましたしね。

 大阪ホテルを探す旅を終えて、さ、どうよう。もう東京に帰るかな、、とも思ったがまだ昼。折角だから、大阪城でも見ておくかなと心斎橋で地下鉄にのりました。
 心斎橋から東方面へ。5つめの駅森ノ宮が大阪城への入り口です。
 駅の出口をでると、もうすぐそこは大きな公園のような広場でしたね。綺麗な桜が咲き、広場では植物の市をやっていました。
 はるか向こうに大阪城が見えます。結構本丸まで距離がありますね。ぐるっと回って、階段を昇って、、約30分はかかりました。
やっと着きました。歴史あるお城を間近に何枚も写真を撮っておきました。ようやくここには来ましたが、お城の中には入りませんでした。全国にはいくつかのこうしたお城ありますが、今回はお城が目的でもなかったし、その姿を間近に見れただけで十分でした。正直、カバンとカメラとノートPCを持っていたから結構重荷でした。ちょっと疲れたこともありましたし。
 ともかく、短い間でしたが、大阪の旅は終わりました。新大阪駅へゆき、間近の新幹線に乗って東京へは6時近くに戻りました。予約も何も取らずにぶらっと、、。それがいいですね。旅は。